原野辰三の社会評論エッセイ
教科書嫌い
歴史教育
「歴史」を国語辞典でみると「人間社会が経て来た流動・変遷の姿」とある。
学校では歴史という科目があり、教科書がある。私事で恐縮ながら、学校で一番つまらなかった授業は歴史の時間だった。先生の授業も教科書も無味乾燥だった。もともと勉強嫌いであったから尚更である。
亡母が晩年になってから、私によく言っていた。「あんたほど勉強しなかった子はいない」と。要するにわたしの勉強机の上に学校の教科書が乗っていたことがなく、教科書を開いて勉強していたことは、まずなかったというのである。そう言われれば確かに私は教科書が大嫌いで、こんなに面白くない本はないと思っていた。
もともと、私はへそまがりで、教科書にかじりつくのは、“点取り虫“のやること、とたかをくくっていた。また定期テストの点数なんか気にならなかった。
ただし、すこしだけ、言い訳をすれば、決して学習意欲はなかったのではない。亡き父は読書家であったので、父親の書棚の本を盗み読むことが多く、毎日わくわくして読んでいた。母にすれば教科書がすべてであったのだろう。私の大嫌いな。
ましてや歴史の教科書なんて、であった。古墳時代がどうの、大化の改新がどうの、そんな昔のことには一切興味が湧かなかった。
テストといえば、年代はいつか、誰が何を、といった暗記力を試すような内容である。わたしにすれば“そんなことを憶えて、それがどうした”と内心反発を感じていた。
−テストで思い出したが某有名大学の入試問題に仏像の名前を書けというのがあった。その名前については忘れてしまったが、とにかく長ったらしく、難解な漢字の仏像さまであった。こんな出題者にわたしは首を傾げてしまった。−
さて、こんな私でも歴史の授業が進み、だんだんと現代に近くなってくると徐々に親近感をおぼえ、興味が少しずつ湧いてきた。ところが、ところがである。
いよいよこれから現代史に入ると思った途端に授業は打ち切られてしまった。それは私たちだけではない。何十年も前からわが国ではそうなっている。
これは明らかにわが国の歴史教育の方針である。昭和以降の歴史は学校で教えてはならない、というのが文部省の基本方針なのではないか。
では何故?
その何故が重要だ。おそらく国民に、その歴史を教えるな、その歴史については国民に目隠しをしておけ、という強い力が働いているからであろう。
歴史教育ほど政治的な意図に左右される科目はない。“その歴史を教えるな“は、まだしも、最近は、もっと怖いことになっている。
2002年から使用され中学校の歴史教科書の採択問題が、日本国内だけでなく、海外でも大変な問題になった。
その教科書は「新しい教科書をつくる会」がつくった「新しい歴史教科書」(扶桑社)だ。ここ130年間でアジアの隣国を植民地支配し、侵略戦争をしたアジアの国は日本だけである。
それを“アジアの解放をめざす正義の戦争”と描き出している内容になっているのだ。
歴史はフィクション(fiction=虚構・作り事)ではなく、ノンフィクション(nonfiction=虚構ではなく、事実にもとづいてかかれた文)なのだ。
歴史は文献・資料等あらゆる記録を収集し、検証し、その事実(史料)にもとづいて書かれたものが歴史である。したがって、歴史は科学なのだ。
歴史は小説ではない。nhkは日曜日のゴルデンアワーに、大河ドラマで毎年、歴史小説を放映している。徳川家康、赤穂浪士、新撰組等々。本年は義経である。観ていると、ついつい、事実と錯覚してしまいそうになる。それを観た人は、おそらく徳川家康は「こんな人物だったのか」と思い込んでしまうだろう。私は以前に劇団「民芸」の“国定忠治”を観劇したことがある。それまで時代劇映画を何度か観たが、国定忠治は“強くて、子分思いで、仁義を重んじる英雄”として描かれていた。しかし、劇団民芸作品は、なんと国定忠治を”弱虫のこそ泥“として描いているのである。赤穂浪士についても「あれは単なる”就職運動”だったという人もいる。反対に吉良上野介は人望の高い名君だったとの見方が地元では多い。いずれにしても「忠臣蔵」は小説である。
要するに、歴史小説なら作者がどのように描こうと書こうと、それは作者の思い通りにすればよい。しかし、歴史の教科書は絶対にそれを許されるものではない。
義経は何百年も前の時代だが、大東亜戦争は僅か100年そこそこの出来事である。記録は十分に揃っており、公文書をはじめとして、ありとあらゆる資料文献が現存している。それらを整理し、分析し、検証すれば、自ずとあの戦争は植民地支配と侵略戦争であったことは明らかである。
それをいろいろ理屈をひっつけて、正当化しているのだから、海外から非難されるのは当たり前で、恥である。歴史は小説ではない。ましてや、歴史の教科書は歴史小説ではないのだ。
敗戦後60年たつと、戦前戦中を身をもって体験した生き証人はだんだんと減っていき、また、歳月とともに風化し(風化させ)、歴史の彼方へ葬り去る。
忘却の彼方へ行ってしまった時を、見計らって「戦争を知らない世代が大半をしめた、もうぼちぼちと、歴史を歪曲して、あの戦争を美化してもよかろう」と「新しい歴史教科書」をつくったのだ。
こんな教科書をつくった人間は、余程の軍国主義信仰者で、軍事国家待望論者なのだろう。
家永三郎(東京教育大学教授)氏は、執筆した歴史教科書を文部省の検定で修正削除(南京大虐殺・従軍慰安婦等)を強いられたことについて、裁判を起こした。史実に忠実に記された教科書を文部省は気に入らんというのだ。
なお、家永三郎集〈第8巻〉裁判批判・教科書検定論 の購読をお薦めします。
ここで故家永三郎先生の声明文を原文のままご紹介しておきます。
「私はここ10年余りの間、社会科日本史教科書の著者として、教科書検定がいかに不法なものであるか、いくたびも身をもって味わってまいりましたが、昭和三八・九両年度の検定にいたっては、もはやがまんできないほどの極端な段階に達したと考えざるをえなくなりましたので、法律に訴えて正義の回復をはかるためにあえてこの訴訟を起こすことを決意いたしました。憲法・教育基本法をふみにじり、国民の意識から平和主義・民主主義の精神を摘みとろうとする現在の検定の実態に対し、あの悲惨な体験を経てきた日本人の一人としてもだまってこれをみのがすわけにはいきません。裁判所の公正なる判断によって、現行検定が教育行政の正当なわくを超えた違法の権力行使であることの明らかにされること、この訴訟において原告としての私の求めるところは、ただこの一点に尽きます。」







