原野辰三の社会評論エッセイ
日は昇り、日は沈む
何が正しいか
地動説を唱え、迫害をうけ、処刑された科学者たちのことを考えると、かっての軍国主義時代の日本と重なる。
当時は軍国一色。総動員令が布かれ、学校教育はもちろん、唯一あった放送局(今のNHK)も、すべてが戦争賛歌に大声をあげた。物資不足で家庭からは、なべ釜、兵器になるものは、すべて供出させられた。
もし出さないものがいたら、非国民と言われ、少しでも平和の「へ」の字や不満らしき言動があれば、即、特高警察に引っ張られていき牢獄へ。
それでも平和を訴えた人がいた。当然どうなるかを充分に承知していた。命をかけた人は一人や二人ではない。牢獄で拷問を受たり、虐殺された人もいた。
田宮虎彦の小説足摺岬を読むと、そのときの時代がよく描かれている。
こんな人もいる。当時積極的に戦争に協力しながら、戦争が終わるや否や「わたしはあの戦争には反対であった」とぬけぬけといった有名な小説家がいた。(名は伏せる)まあ、それも已むに已まれぬことかも知れんが。
ところで私事だがこんな思い出がある。その光景は60年たった今でも鮮明に憶えている。当時、わたしは小学校(国民小学校といっていた)の1年生。天長節(天皇陛下の誕生日)を祝う日。
教頭は教育勅語が納められた、黒の漆塗りに金箔の菊の御紋が入った箱を、恭しく頭より高く掲げて、ゆっくりと歩み、校長先生に渡す。校長先生は教育勅語の巻物をおもむろに取り出し、「朕惟フニ我皇租皇宗国ヲ肇ムルコト宏遠ニ・・・」と読み上げる。
それがおわり、今度は教頭が壇上に上がった。一人の生徒を(高等科の最上級生だった)壇上に引きずり上げた。教頭はその生徒を殴る蹴る、壇上から突き落とす、また引き釣り上げて、殴る蹴る。わたしは可哀想でたまらなかった。
そして、「この生徒は一体何をしたのか」、わけを知りたかった。その日、家に帰るとすぐ、兄(6年生)に聞いた。「兄ちゃん、今日は、なんであの人が殴られたんや」と。兄いわく「ああ、あいつは朝鮮人や」。
兄のその一言にわたしは「理由もなく、ただ朝鮮人というだけでみせしめのために殴るける、なんとも、いたたまれない」その晩はしばらく悲しくて、眠れなかったことを憶えている。
やがて敗戦。わたしの家の少しはなれたところにわたしと同年ぐらいの、ある朝鮮人の少年がいた。わたしは、よく父の会社へ夜勤の弁当を届けるためにその道を通っていた。
言葉も交わさず、名前も知らない。しかし、お互いに顔と顔が合うと、なぜか心が行き交っていたように思った。今様に言うとアイ・コンタクト。
多分、あの事件以来、ずっと、わたしのトラウマになっていたのでしょう。常にわたしは朝鮮の人々に詫びねばならないと思ってきた。
今日でもその気持ちは変わらない。私が高校2年生のとき、偶然にも、その朝鮮の彼が転校生で編入学してきた。在校中はことのほか仲良しだった。
−今、冬のソナタがヒットし、ヨン様・韓流ブームである。一面ではあるが内心少しだけホットしている。「朝鮮と日本」についてはいずれテーマとしてとりあげるので、ここではこの程度にしておく−
世の中は、何が正しく、何が間違いか、何が善で、何が悪かその時々の為政者によって、「為政者がマスコミと組んで作り出すものだ!」と思う。
また一般大衆はその体制に組み込まれ、流され、理念だけのみならず、情念まで左右され(好き嫌い)、気がつけば、いつの間にか悲惨なことになってしまっているのです。
“みんながそう言っているから、学校でならったから、マスコミがそう言っているから”、それが正しいとは限らない。
そうでないことが多々あることを歴史が物語っている。また反面、いまは正しくないと言われていることも、やがて、それが正しかったと歴史が証明することがあるだろう。
著名な社会心理学者の南博氏は「日本人は自我の確立ができていない」(日本人の心理:岩波新書)と言っている。
自我を確立して、批判精神を養い、歴史に責任をもって生きよう。
正しく考えるために(講談社現代新書岩崎武雄著)是非ご一読ください。本書は中学校の国語教科書に一部が掲載されていました)







