原野辰三の社会評論エッセイ
人間性利説
現代の社会を憂う
人間は性善説か性悪説か。2400余年前からの古いテーマだが、人間にとって究極のテーマだと思う。今日の世界を見ていると、改めてそれを問いたくなる。
私が若い頃、人類の英知を信じ、科学の進歩に夢を抱き、明るい未来を描いていた。その中でも、少なくとも「戦争だけはなくなるだろう」と思っていた。
しかし事実は残念ながらその逆であった。私が生きてきた年数は人類の歴史からすれば、ほんの僅かというより一瞬であろう。
その一瞬の間だけでも、日中戦争、太平洋戦争(第二次世界大戦)、朝鮮戦争、ベトナム戦争、中東戦争、アフガン戦争、イラク戦争等々、戦争は止むことなく繰り返された。
人類の歴史は戦争の歴史というべきか。国家と国家、宗教や民族の対立抗争、内戦等々人間集団のあるところ必ず戦争や紛争が起き、かつ絶えない。
そして多くの尊い人命が葬られた。テロも頻発して凄惨な状況が続いている。社会では凶悪犯罪が頻発し、至る所で日常茶飯事となっている。
一方、貧富の格差が拡大するばかりだ。世界地図を色分けすると貧富の差が画然としている。アフリカでは3秒に一人が餓死しているという。
とにかく世界は「戦争、紛争、テロ、飢餓、貧困、麻薬、エイズ、人口、食糧、水、エネルギー、公害、ゴミ、産業廃棄物、差別、人権、教育、医療、薬害、犯罪、そして地球温暖化、地球環境破壊」と難問山積、多事多難。毎日多くの人が被害を受け、犠牲者が大量に続出して、多くの人々が悲嘆にくれている。
地球の
それどころか、地球そのものが危うくなっている。自然の破壊は止まるところを知らない。
ニュースを見聞きするたびに気持ちが暗くなる。人ごととは思えず、心苦しい。しかも最も悲しいことに、これらがすべて人間の行為によるものであるという点にある。
このような現実に生きていると、はたして人間は善なのか、悪なのか、何故人間は憎しみ合い、奪い合い、殺し合いをするのか。何故?何故?・・・何故人間はそうなのか。
何故だ!地球に生きる一般庶民は昨日より今日、今日よりは明日の平和と幸福を願い、祈りつづけてきた。
科学文明の進歩や宗教は人類の幸福のためにあったはずである。社会科学、自然科学を問わず科学者の学術研究の目的は人類の幸福であり、また釈迦もキリストもムハンマドも人類の幸福を願い聖典を残した。それが地球人類の歴史であった。
なのに、今日の世界はこんなに酷い状況になっているのは、何故なんだろう。
私は思う。多分この人間社会には魔物がいて、その魔物に魅惑される魔性が人間の心に潜んでいるのではないか。
その魔性が人間の心に働きかけ、人類のための善なる知恵を利己の欲を満たすために悪用させているのではないか。
たとえば、ノーベルが発明したダイナマイトを人殺しに悪用し、アインシュタイン等の原子物理学を原爆という大量殺戮核兵器に悪用した。
科学文明の発達は諸刃の剣というが、諸刃の片方が魔性の刃になっているのではないだろうか。
アインシュタインは
宗教心のない科学は不具であり、科学知識のない宗教は盲目である
といったが、では、アインシュタインが言った宗教とは一体どのようなものなのだろうか。
また人間を魅惑する魔物の正体とは一体何者なのか。私はその答えを求めて右往左往、七転八倒し、書籍をあさり、人の意見に耳を
或るときは、いろいろな人に、問いかけ、自分の意見を述べ、語りかけた。しかし、「自分には関係ない」という人達の大きな壁にぶつかり、無力感・敗北感・挫折感に苛まれてしまうこともしばしばであった。
とくに「自分が生きている社会について無関心な人が多い」ことが一番悲しい。人の痛み、苦しみ、悲しみを自分に置き換えて、「他人の感情を共有する心」の余裕すら失った人が多くなった。
明日は我が身だという想像力を働かせることができないのであろうか。そんな人が多いからこそ余計に将来が心配になる。
「きれいな空気と水、緑の地球、戦争のない平和な世界、心豊かで犯罪のない社会」の実現という「夢と理想」を追い求めることを私は諦めることができない。
子供や孫に「こんな地球を、こんな社会を残して済みません」と謝って死んでいくには、余りにも無責任で情けない。とはいえ65億分の1の自分がどうすることもできない。
不甲斐ない自分に対して焦りさえ感じている今日この頃である。
先程「夢と理想」と言ったものの、よく考えてみれば私のこのような「夢と理想」は「当たり前のこと」で、万人がそう願っているに違いない。
人間誰しもが願っている「当たり前のこと」を今日なお実現できず、「夢と理想」になっている現実こそ問題なのである。
一般の庶民の誰もが平和を願い、より良き社会になることを願っていながらそうはならない。「何故」なんだろう?それが私の最大の疑問であり、その何故がテーマである。
こんな「当たり前のこと」を問題にしなければならないこと自体が悲しく、とくに「何故、人間は殺し合うのか」私にはどうしても理解ができない。
そのような心境から、人間性善説・性悪説という命題に挑戦することにしたのである。
この命題に挑戦したもう一つの、というより最大の動機は「地球環境が破壊され、人類が滅亡する危機に直面している」という危惧からである。
このままでは、「50年後には地球環境は回復不可能になる」という国連報告がある。
このような差し迫った重大な問題に直面している今日、人間とは何か、人間は果たして善なのか、悪なのかを考えてしまう。






