原野辰三の社会評論エッセイ
人間性利説
2007年01月26日
著者 原野辰三
はじめに
この評論は「ある特定の一つ」を採り上げて評論しようとするものではない。題名は「儒教に関する評論」と思しきものだが実はそうではない。
私が、生きてきた一人の人間として常日頃から思い、考え、或いは悩み続けてきたことを随筆として書いたものである。このことを先ず断っておきたい。
私は昨年からブログ日記を書き始めた。日記は社会での出来事を題材にして、時事コラム風に書いている。日記を書き始めて改めて思ったことだが、書く材料には事欠かない。
つまり書くことが多過ぎて有り余る。それだけ社会が滅茶苦茶だということでもある。
私は日記をコラム風に書いているので、ただ単なる記録ではなく、その出来事について意見や主張を書いている。
そんな日々を送っているうちに「では何故こんな滅茶苦茶な社会になったのだろうか?」と思うようになった。
そして日々の社会事象から、「何か本源的な問題を見つけ出したい」と思うようになり、では性善説・性悪説に挑戦してみようと思い立ったのである。
私と同様に「何故こんな社会になったのか?」と思っておられる方は私一人ではないだろう。
反対に余りにも滅茶苦茶だから、精神衛生上の自己防衛心理が働いて「見ざる・聞かざる・言わざる」の無関心にならざるを得ない人も多いのではないだろうか。
いずれにしても、「何故?」に対して私の意見を投じてみたいと思いペンをとった次第である。
断っておくが私は特別の思想・哲学にかぶれたこともなく、宗教もない。ただし、固定観念や既成概念や先入観に囚われないように、また常識を疑うように努めてきた一人の親爺である。
尚、私の評論は多分に独善的である。そもそも評論とは独善的なものだと思っている。
その評価は他人がすることであり、批評は私の栄養素でもある。







