原野辰三の社会評論エッセイ
関東大震災
メディアの公共性について
では、テレビ・ラジオの放送における公共性はどうか。
フジテレビの日枝会長はライブドア問題に関して、記者会見で「放送は公共性の高い事業」を強調していた。
日枝氏は有限の電波を国から免許を受けてやっているから公共事業だといっているのである。建前を言っているに過ぎない。公共性が高いという中身はなにもない。
次の記事を紹介します。
「公共性」をめぐっての住民運動について考えていこうとするあなたにとっても私にとっても、それらがたんにあれやこれやのうちから「選択」される「素材」に過ぎないならば、「問題」に何程も近づくことはできないだろう。
―中略―
「つまり日本の放送法制度においては、放送にかかわるものの範囲から、予め市民は排除されてしまっており、国家と放送事業者が「公共圏」設営の主体である、という屈折した法制になっている。
市民のつくる公共性という概念や、コミュニティの成員である市民(パブリック)が自らの言論・表現の自由な広場(フォーラム)を構成するという概念はまったく存在しない。公共性からみたこのような制度的な欠如について、日本ではほとんど議論がなかったといえる。
―中略―
1994年、プラハでのeu閣僚会議では、放送が多くの人々にとって主要な情報の供給源であるという前提のもとで、「公共放送の情報提供責任」「資金調達」「政治的中立と公共説明責任」「新しい技術へのアクセス」の四つの分野にわたる「公共放送の将来に関する決議」が採択された。
欧州人権保護条約第一〇条に保障されているように、ヨーロッパのすべての市民は情報と知識を受ける権利があることを根拠に、「ヨーロッパの公共放送を公明正大で多元性のある編集方針にゆだねること」、「過去を振り返り国家の文化的遺産に目を向ける必要性と同時に、民族的少数派の視聴者のニーズに応え、文化的に革新的であること」を求め、九項目の宣言を決議している。
自己決定のための公正な情報提供、公共の議論の場の提供、公平なニュース、多様性の確保、少数民族の利益と全体のバランス、思想・宗教の反映、文化的遺産の普及、独立系のプロデューサーによるオリジナルな番組制作、商業放送から排除された文化の提供、などからなるものだ。
この第二項目「できるかぎり幅広い意見や見解が表現できる公共の議論の場を提供する」では、放送が市民・住民の意見・思想・価値観が表現できるフォーラムでなければならないことが認識・共有されている。
「アクセス権」という表現は使われてはいないが、放送が事業者からの一方的な情報供給であってはならず、さまざまな表現や文化が反映されていなければならないという確認である。








