原野辰三の社会評論エッセイ
ドイツの歴史認識
教育による過去との対決
さてドイツ人は、ナチスのような犯罪集団が再び権力を握ることを防ぐには、歴史教育が極めて重要だと考えています。
私が、日本の中学校や高校で使った歴史教科書では、満州事変から太平洋戦争の終結に至る歴史は、ごくあっさりとしか取り上げられていませんでした。また授業では、中世や江戸時代に力点が置かれ、太平洋戦争の歴史については、詳しく学びませんでした。
これに対しドイツの教科書では、ナチスがドイツを支配していた時代について、詳しい解説が行われ、残酷すぎるのではないかと思われるほどの、写真や証言が載せられています。特にドイツ人が加害者だったことが、強調されています。
たとえば、「過去への旅」という教科書では、ナチスの台頭から、敗戦までに72ページを割いています。特にアウシュビッツ強制収容所の所長だったルドルフ・ヘスが、ユダヤ人をどのようにガス室で虐殺したかを描写した、生々しい証言を引用したり、ガス室に向かって歩くユダヤ人の親子の写真を掲載したりしているのが、目につきます。
かつて侵略された国にとっては、教科書の中で、ドイツ人が過去の歴史を美化したり、悲惨さを和らげたりしていないかどうかを知ることは、とても重要です。
このためドイツはすでに50年前に、周りの国々との間で、歴史教科書の内容をお互いに吟味して討論する作業を始めています。
教科書会議の推進役は、ゲオルク・エッカート国際教科書研究所です。
1951年に創設されたこの研究所は、ドイツ外務省と7つの州政府の支援によって運営されています。
この研究所はこれまでに、ポーランド、フランス、イスラエルなど12カ国と、教科書会議を、数百回にわたり、行ってきました。教科書会議では、歴史学者が、相手の国の教科書の記述が偏っていないか、歴史を美化していないかなどについて、意見を交換します。そして両国の文部省や教科書の出版社に、教科書の内容についての勧告を送ります。勧告には拘束力はありませんが、教科書には、勧告の精神が強く反映されています。
私は1989年に、ドイツとポーランドの歴史学者が開いた教科書会議に参加し、討論の模様を取材したことがあります。ポーランドの歴史学者の中には、戦争中にゲシュタポに逮捕されて拷問を受けた上、アウシュビッツ強制収容所に入れられて、生き残った女性もいました。
かつてはドイツ人を憎んでいたというこの女性が、ドイツ人たちと、ドイツ語で歴史について討論しているのを見て、私は、かつての敵国同士が相互理解を深める上で、教科書会議が、重要な役割を果たしてきたことを、強く感じました。
さらに、ドイツにはナチスの犠牲者のための追悼施設や慰霊碑が、全国の数1000か所にありますが、これも、過去を心に刻むための努力の一部です。
たとえば2005年5月に、ドイツ政府は、ナチスに殺害された600万人のユダヤ人を追悼するための、巨大なモニュメントを、ベルリンに完成させました。
ベルリンの中心部にある、1万9000平方メートルの敷地に、2万7000個の、黒い石の立方体がぎっしりと並べられています。その様子は、棺を並べたようにも見えます。ドイツ政府は、深刻な財政赤字にもかかわらず、2700万ユーロ(およそ37億8000万円)をつぎ込み、6年の歳月をかけて、この慰霊碑を作りました。
この慰霊碑があるのは、ブランデンブルク門や、連邦議会議事堂の目と鼻の先の、一等地です。日本でいえば、銀座四丁目か、永田町に相当する場所です。首都の最も目立つ場所に、過去の犯罪についてのモニュメントを設置したことに、歴史を忘れないという姿勢がはっきり表われています。








