時事コラムを中心に、社会評論エッセイや名言・格言・諺の解説を掲載

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原野辰三の社会評論エッセイ

ドイツの歴史認識

ブラント首相の歴史認識

ドイツは過去とどう向き合ってきたか

ドイツの東隣の国ポーランドは、ナチスによって最も大きな被害を受けた国の一つです。1939年のポーランド国民3600万人の内、およそ17%にあたる600万人が死亡しています。特にポーランドにいたユダヤ人の85%が、殺害されました。

1970年に、西ドイツの首相だったヴィリー・ブラント氏は、ワルシャワ・ゲットーの慰霊碑を訪れました。これは、ユダヤ人たちがナチスに対して蜂起し、多くの市民が殺害された事件を記憶するために作られた、慰霊碑です。ブラント首相は、この慰霊碑に花を捧げた後、突然、ひざまずきました。西ドイツの首相が、慰霊碑の前で膝を折った映像は、全世界をかけめぐりました。この映像は、謝罪の気持ちを、全身で表現する「新しいドイツ人」の姿を、ユダヤ人を初めとする、被害者たちに対して強く印象づけたのです。

私は1989年にボンでブラント元首相に、歴史認識についてインタビューをしました。その時に聞いたブラント元首相の、次の言葉が、今も私の胸に残っています。「自分の国の過去について、批判的にとらえればとらえるほど、周りの国々との友好関係を深めることができる。若い人々には、ナチスの過去について責任を負わせてはならないが、彼らも歴史の流れから抜け出すことはできないのだから、ドイツの歴史の暗い部分についても、学ばなくてはならない」。

ブラント元首相の歴史認識は、今も、ドイツ政府によって脈々と受け継がれています。ドイツの首相、大統領、外務大臣にとって、アウシュビッツ収容所の跡や、エルサレムにあるホロコースト博物館(ヤド・ヴァシェム)を訪れて、犠牲者に追悼の意を表し、謝罪の言葉を述べることは、常識となっています。

2005年は、アウシュビッツ強制収容所がソ連軍によって解放されてから60年目にあたりました。この時に行われた追悼式典で、当時首相だったシュレーダー氏が行った演説の一部を、引用します。

「私はアウシュビッツで殺された人々、そして収容所の地獄を生き延びた皆さんの前で、恥の感情を抱いています。アウシュビッツ、チェルムノ、トレブリンカ、マイダネクという強制収容所の名前は、ヨーロッパとドイツの歴史に永遠に結びつけられていくでしょう。何100万人もの子ども、女性、男性たちが、ドイツの親衛隊員らによって、ガスで窒息させられ、飢え死にさせられ、射ち殺されました。

―中略―

今日のドイツ人の大部分は、虐殺について直接責任はありません。しかし、ナチスの犯罪について記憶することは、ドイツ人の道徳的な義務です。我々は犠牲者、その遺族だけでなく我々自身のためにも、この義務を遂行しなくてはならないのです。歴史を忘れるという誘惑は大きいですが、我々は誘惑には絶対に負けません」。

以上がシュレーダー前首相の言葉です。

ここには、過去を心に刻み、被害者に謝罪することが、ドイツの国是であり、外交政策の根幹であるという発想が、にじみ出ています。被害を受けた国や市民にとっては、ドイツが過去の悪い点を忘れないと宣言することが、安心感の源となっているのです。

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