時事コラムを中心に、社会評論エッセイや名言・格言・諺の解説を掲載

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原野辰三の社会評論エッセイ

2005年02月25日
著者 原野辰三

ゆかいな誤変換。

先日、書店で面白い新書本を見つけた。この2月に発売された本です。立ち読みしながら、思わず笑ってしまいました。ヨシナガ著「ゆかいな誤変換。

みなさんも殆どの方が経験していると思いますが、私も毎日それを経験しています。いわゆるワープロで文章を書くときに起きる“誤変換”です。

漢字に変換すると、全く違う意味になったり、また意味不明な言葉が出てきたり、兎に角、それに悩まされます。

ときには、傑作な言葉や文章が表れて思わず苦笑したり、内容によっては腹をかかえて笑うこともあります。新刊書の「ゆかいな誤変換」はその傑作集です。

その本から面白い文をチョットだけご紹介しておきましょう。

ゆかいな誤変換。

  • 貴方の顔、なんか芋みたい。
    (貴方の顔、何回も見たい)
  • いないいない、婆ー、 他界他界ー
    (いないいない、ばあー、 高い高いー)
  • 恐れながらも牛あげます
    (おそれながら申し上げます)
  • 有る毛無くなった人へ、ハゲ増しのお手紙
    (歩けなくなった人へ、励ましのお手紙)
  • 性教育と中2は知っていた
    (生協行く途中走っていった)

引用元 : ゆかいな誤変換。 (2005年1月28日)

では何故こんなに"誤変換"が生じるのか。わたしなりに考えてみました。

つまり、日本語の特異性に原因があると考えています。日本語の特異性とは「助詞」のことで、いわゆる「て に を は」です。

外国人のカタコトの日本語をきいていると、たいてい「助詞」がない。

たとえば

「ワタシ アナタ スキ」

「アナタ アス ドコ イク」

という調子です。

わたしは言語学者でないから、世界で「助詞」があるのは日本だけだと思っていますが、仮にあったとしても稀だと思います。もちろん中国語にも英語にもないことだけは確かです。

助詞は単語と単語を繋ぎ合わせる働きをもっており、助詞そのものには何の意味をもたないのです。

いずれにしても、外国人に言わせると、日本語ほど難しい言語はないらしい。すなわち「助詞」ほど厄介なものはないのだそうです。

厄介な助詞に悩まされているのは、外国人だけではありません。もっと手をやいているのがコンピュータです。

コンピュータにはプログラム言語が必要で、言語で(ソフトで)動いています。それは日本語ではなく、また日本語の文法ではありません。

コンピュータ、ソフトなければただの箱

プログラミングで使用する言語はすべて表音文字(英)の単語です。勿論「助詞」は単語ではありません。

単語で動いているのに、余計(?)な助詞が割り込んでくるから厄介なのです。だから、誤変換をするのだ,とわたしは思っています。(間違っていたら、教えてください)

ワープロで文章を書いている私たちにとっては、「もうちょっと、気をきかせろ、それぐらい判じ取れ」、と言いたいのですが、それがコンピュータなのです。

だから、コンピュータは偉大なる馬鹿者という綽名(あだな)を付けられたのです。

わたしとコンピュータとの出会いは約40年前。当時メガバンクに勤務していたときです。第一次オンライン移行作業で毎日毎夜残業につぐ残業でした。

銀行の記帳事務がオンライン化されると、女子行員の言葉遣いも変わってくる。「入力しました、打っておきました」です。以前なら「記入帳に、元帳に、記帳しました」だった。

元来、私たちコンピュータ以前の古い人間は、簿記の原理や帳簿体系が分かっているから、コンピュータ化しても、「これはこの帳簿に、この記入帳に記帳された」と頭の中に帳簿が浮かんでくる。だから「打つ」という概念より、「記帳する」という概念です。

最近、経理事務要員の採用面接で、「あなたは経理、会計ができますか」と質問すると「できます」という。よくよく聞けば、"会計ソフト"の入力作業ができるということで、実際は「会計は分からない」のです。

また、しばしば出くわすのは、用件や照会や質問があって、会社や役所にでむいたり、電話したとき、「コンピュータがどうの、コンピュータでは、コンピュータが・・・・」という答えが返ってきます。

本末転倒主客転倒もはなはだしいと思いませんか。コンピュータは主体的に行為をしません。人間が操作するものです。

しかし、コンピュータを理由にすれば、意外と世間では納得する人がいるのかもしれませんね。

わたしが実際にパソコンを使い始めたのは今から10年前。当時、わたしは大手小売業で財務を担当し、経営分析やら、また社員のスーパーバイザーに財務管理の教育をしていました。

とにかく数値を分析をするのにコンピュータがなければ到底できません。やむに已まれず、コンピュータに挑戦したのです。とはいってもEXCELです。還暦を迎える3年前のことです。

なんとかEXCELをマスターできたお陰で、その後、FC加盟法人の格付けで、約150社5年分のデータを解析することができました。

そのとき、やはり、コンピュータは偉大だ、とつくづくと思ったのです。いまではEXCEL、ACCESS、VBA等のソフトで自分なりにいろんなプログラムを作れるようになりました。

でも、決して威張れるものではないと思っています。結局、出来上がったソフトを使いこなすだけで、いわば自転車に乗る練習をするのと同じなのです。こけては乗り、またこけては乗る。そのうちに乗れるようになるのです。

わたしが偉いなあ・・と思う人は、コンピュータを作る人、ソフトを作成する人です。出来上がったものを使うのは、練習すれば誰でもできるものです。

最近はいろいろなソフトが氾濫していて、税務、会計から、ホームページビルダーフラッシュイラストレーターフォトショップから、簡単なものではワードエクセル筆まめなどがあります。ソフトは時間と根気がいりますが、習熟さえすればいいのです。

実はこのホームページも息子に教えてもらいながら、XOOPSというソフトを使用しています。

息子とは電話でやりとりしながら、ああだ、こうだと言われ、ときには叱られながら、悪戦苦闘して、やっとできたのです。

先般、「そこを、プルダウンして」と指示されたのですが、「プルダウンというのは、何や」と聞いて、息子に「お父さん、いい加減に用語ぐらいは憶えろ、言葉が通じないと教えられない」とひどく叱られてしまったのでした。

携帯電話についても、家族から一斉に揶揄されてしまったのです。つまり、私にいきなり「メールでおくるから」といわれたものの、メールのやり方がわからない。それでみんなから「そんな簡単なことぐらい、おぼえろ」、「お父さんはエクセルなどを使いこなすのに、なんで携帯電話のメールができないのか」というのです。

わたしは携帯電話は「電話」であって、肉声でしゃべってこそ意思が通ずると考えているから、"話すことだけにしか使わない"と決め込んでいました。

ところが、女房までがメールをしていると聞いて、「これは負けてはいられない」、と一念発起して、やっとメールができるようになった次第です。

最初は、メールを打った後で、「メール着いたか」と電話して、叱られてしまったので 今は少し心配になるのですが確認しないようにしています。

やってみると、携帯電話も結構便利なもので、パソコン並みに利用しています。

それまでは、電車に乗ると、乗客たちが一斉に携帯電話とにらめっこを始め、なにやら親指を盛んに動かしている様子。わたしは奇異というのか、「一体何をしているの?」と思っていたのです。

ところが今、その自分がやっているのです。(あと2年もすれば70歳になる"おじい"が)

兎に角、世の中便利になったものだと感心しています。

しかし、わたしはこうも考えるのです。果たして、これでいいのだろうかと。

すなわち、情報過多シンドロームに陥りはしないだろうかと心配するのです。

いまや、新聞・テレビ・書籍・雑誌に、それにインターネットという、”すごいもの”が加わり、情報収集には事欠かない。また量的にも膨大な情報が氾濫しています。

特にインターネットの情報はこの世にある情報で、ないものがないほど、すべてあります。

その情報は地球単位で、ジャンルを問わず、リアルタイムに得ることができるのです。

ですから、余程、自制しないと、氾濫した過多な情報の洪水に巻き込まれ、自分を見失ってしまうのではないか、と心配してしまうのです。

昔、チャップリンの「モダンタイムス」という映画がありました。要は機械化時代で人間が逆に機械に使われるようになった時代を風刺した名画です。

コンピュータ時代を生きている私たちを見ていると、ふと「モダンタイムス」の映画を思い起こすのです。

また、こうも考えられるのではないでしょうか。

朝日新聞では毎週土曜日に別冊にナンバー ブレイスというクイズが掲載される。私はそのクイズを毎週楽しみにしている。そして、そのクイズをコンピュータで解答できるソフトを作ってみようと、遊び半分で取り掛かかりました。約3ヶ月掛かったがどうやらでき、問題を入力すると一瞬で解答ができました。その時つくづくと思ったのです。

人間の頭脳の素晴らしさを改めて考えさせられたのでした。つまり人間は問題を目でみながら、解いていける。(勿論メモをとり、時間はかかるが) しかし、これをコンピータにやらせると、何とEXCELシート3枚にぎっしりと計算式(プログラム)をかかねばならないからです。

加えていうなら、人間の頭脳も素晴らしいが動物も素晴らしい。たとえば犬です。あの嗅覚は人間業では到底かなわない。これを将来コンピュータができるだろうか。

いずれにしても、コンピュータを知れば知るほど人間の素晴らしさを再認識させられます。

現代社会の人間はコンピュータや機械に依存し過ぎています。それを設計するのも操作するのも、あくまでも人間なのです。人間は完全無欠ではありませんので、ミスはつき物です。またコンピュータや機械も万能ではありません、イレギュラーに対する判断は出来ないのです。ですからコンピュータや機械に依存することは大変危険なことで、最終的には人間そのものの能力を大切に考えることが肝要なのです。

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