去る19日のブログ畠山鈴香被告に無期懲役の記事について、次のような貴重なご意見を頂きました。この方はよく勉強されて豊かな見識をお持ちになった方だと思います。有難うございました。
死刑にしなかった裁判長を高く評価され、畠山被告も文明の哀れな犠牲者だとされている点、強く共感し敬服します。
ただ※1文明のないところでは精神病も犯罪もないとされる点、
※2現代は殺伐とした犯罪が増加しているとされている点は若干疑問があります。
精神病の中には脳の器質的障害に起因するものがあり、そのような人は未開社会にも存在するが、社会的に生存は困難であろうと予想されます。
歴史をひもとくと血も凍るような大虐殺は過去に何度もなされています。アレキサンダー大王しかり、チンギスハンしかり、織田信長しかり、豊臣秀吉しかりです。過去にさかのぼるほど人は人の命をたやすく奪っていたような気がします。そのような社会で生きていくストレスは今とは比べ物にならないほど強かったのではないでしょうか?
現代は法制度が完備し、人権思想も普及しそういった力の強いものにいきなり殺されるかもしれないというストレスはほとんどなくなりました(あくまで日本の話ですが)。
もちろん高度文明社会なりの強いストレスが代わって出現したということは理解していますがあまりおおげさに考えるのはどうかという気もします。
個人的には小さな閉鎖社会(農村とか長屋とか)での暮らしのほうがずっとストレスがたまりそうな気もするのです。 傍線と記号は筆者原野
※1文明のないところでは精神病も犯罪もないとされる点については、私の勉強不足のために、しっかりとした文献なり根拠を示すことが出来なかった結果で、非科学的な論壇になり反省しました。
※2現代は殺伐とした犯罪が増加しているとされている点については、<アレキサンダー大王、チンギスハーン、織田信長、豊臣秀吉の時代>と現代を比較すれば、おっしゃるとおり<現代は法制度が完備し、人権思想も普及しそういった力の強いものにいきなり殺されるかもしれないというストレスはほとんどなくなりました。>
つまり、歴史的にみれば、現代社会は間違いなく、その当時と比べれば人権思想は飛躍的に発達しました。
ただし、私の「歴史観と同時代認識」は少し違うようです。
分かり易く説明しますと、
私たち世代(70代)以上の人は「あの当時は、米一粒は勿論のこと、食べる物がなく、みんな栄養失調状態だった。それと比べれば、今は本当に良い時代だ」とよく言います。
重要なことは「だから今の時代はいいのだ」と言われることです。
つまり過去の酷い時代を基準にし、それと比較した事例を矮小化して、現代社会の批判の鉾先をかわしてしまうことです。
これでは現代という同時代を生きる人々にとっては「現代を肯定」するしかなく、「批判」はできなくなり、「思考停止」に陥ってしまい、未来の創造の芽を摘み取られてしまいます。
これは、為政者がよく使う「誤魔化し」の手段です。
また、歴史学の意義については、「歴史を学ぶことは歴史に学ぶこと」だと思っています。
つまり、「歴史を学び、歴史に学ぶこと」は人間の過去の過ちを繰り返さないように、歴史を学び、歴史を教訓として知恵を働かせて、人間の新しいより良い明日を築いていくためだと思います。
また、「歴史は繰り返す」とも言われます。
たとえば、横浜事件の教訓は生かされず、共謀罪・個人情報保護法・住民基本台帳法・等々のほか、冤罪事件や警察・検察の最近の動きを見ていると、再び思想弾圧や言論弾圧等の基本的人権が再び侵されそうで、大変危惧しています。
「この道はいつか来た道」に再び引きづりこまれるような、足音が聞こえてくるようです。
いずれにしても、歴史を学ぶことは、歴史に学ぶことであり、過去の過ちから現代を考え、明日に生かすことで、決して過去と比較するだけで終わってはならないと思います。
そういう意味で、歴史を学ぶことは未来のために学ぶものだと思います。そして現代社会をどのように認識するかだと思います。
ついでながら、現代は法制度が完備され、とありますが、国連人権委員会が日本政府に対して18回も勧告している代用監獄の問題や密室での取調べの問題など多くの人権侵害問題について法制度の改正がなさていません。
また、世界的にみれば、科学技術の発達で、新たな多量殺戮兵器(核兵器など)が開発され、ヒロシマ・ナガサキのように一瞬にして大量の人間を殺害したのは、古い時代ではなく僅か62年前で、現代での悲惨な出来事です。そしてベトナム戦争、アフガン戦争、イラク戦争、イスラエル・パレスチナ紛争等々、いまだに戦争という名の大量殺人が今日起きていることで未だにやまないのです。
私は地球上から“戦争”をなくすために62億分の一の人間として生きていきたいと思っています。残り少ない人生ですが。






