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時事コラムを中心に、社会評論エッセイや名言・格言・諺の解説を掲載

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投稿者: 原野辰三 投稿日時: 2008年3月7日(金曜日) 12時55分06秒

昨日、ご紹介した大田尭先生は「教育とは何か」の中で、「説得よりも納得を」の原理を強調しておられる。

ところで、私がいつも「何故だ!」と怒りを覚える問題は、イスラエルとパレスチナ問題とイラクやアフガニスタン問題だ。この問題について、米国のブッシュは問題の本質をはぐらかす為に「テロ」「テロ」と叫び、それこそ事の矮小化を繰り返している。国民の多くはその矮小化された言葉に乗せられて問題の本質を見失っているのではないだろうか。

これらの問題の根底には勿論、歴史的流れを背負う宗教問題があるが、現代では、かつて紛争に関与した米国や旧ソ連などの大国の大きな力が働いていることも事実である。

そうした背景のなかで、利害得失が渦巻きながら、「説得」は数限りなくなされてきたが、いまだに和平の糸口すら見つかっていない。それどころか、ますます泥沼にのめりこんでいる。

では、何故「説得」が成功しないのか。私は思う。つまり「説得」には「力」が加わる「強制」が含まれているからだと思う。

「力」とは武力・金力・権力などだ。しかし、「人の心」というものは、絶対に「力」で変えられるものではない。

確かに、それ(力)は一時的には、“ものをいう”ことがあるかも知れないが、それはあくまでも皮相的な一過性の現象であって、根本的な本質は決して変ることがない。それが「人の心」というものである。

また、ベトナム戦争を振り返ってみれば、米国の強大な軍事力でもって膨大な人と金を使っても、「ベトナム人の心」を支配することが出来なかったことは厳粛な事実である。

―ただ一つだけ米国は成功体験をもって味をしめた。それが「日本」だった。その成功は60年以上たった今でも効果を持続している。その成功体験が米国に“思い上がり”を植え付け、ベトナムやイラク戦争の原点になった。米国を図に乗らせた日本の不甲斐なさが問題ではある―

つまり、人に対して「説得」は無意味だということだ。むしろ反感や反発を買うことになる。

大田尭先生は「説得よりも納得を」が教育の基本原理であると強調されている。

そして「納得」を、教育や介護の現場の事例を紹介しながら、次のように説明されている。

・・・自然の要求充足のためのてだてを工夫し合う。これが「納得」をえるということではないでしょうか。
ちなみに、『言海』で「なっとく」をひいてみると、「心ニ解シテ承引スルコト。聞キ入ルコト。得心」とあります。より積極的に言いますと、いままで自分の中でおおわれていたものがあらわになり、みえてくるようになる、引き出されたということでもあります。・・・
考えてみると、教師だけでなく一般に私たちの社会では、納得を求めるより、説得を試みる、さらに説得をこえて強制する、そのことを教育と同一視する傾向が強いのです。役人は規則をたてに人々に説得的姿勢でのぞむことになじみきっています。医師たちも、患者の言い分を充分に考慮したうえで、自分の所見とあわせて判断する傾向はまれで、むしろ説得的ないし命令的に患者に対する傾向が強いように思います。・・・・病気をみて病人をみない。一人の人格の中に病状を位置づけて、それへの“わきまえ”、分別を引き出して励ますということが医療の中心原理であってよいはずだと私は思います。
そして、とりわけ政治家たちは、格別に「教育熱心」でして、自分たちの統治に国民の同化同調を求めることを、教育の通念と解している傾向があります。政治権力の下請人としての官僚たち、とくに文部官僚は、あたかも自らが国家権力を背にして国民や教師への教育者だと思い込んでいるかのように振舞うことが少なくありません。この点については、私の別の著作でもふれてきたのですが、中国・日本・朝鮮のようないわゆる儒教文化圏では、人民教化が重要な統治手段そのものとして長く考えられてきた重い歴史があります。
納得よりも説得の原理は、単に統治者だけでなく、長い間にわたって上からの教化になじんできた一般民衆の内面にも根づいていまして、教化・説得を教育と思いちがえているばかりか、そういう上からの強い指導がなければ、かえって不安になる傾きがあります。・・・儒教文化といいましたが、本来の儒教は実にゆたかな哲学、哲理をはらんだ世俗・現実主義的思想なのです。にもかかわらず、これが権力と結びつき、人民教化のイデオロギーとして矮小化されてきた結果が、重い負の遺産として、本来の教育をゆがめていると考えられます。・・・
教育ということばにについて、私たちを長年とらえてきた観念は、何か相手に教えること(説得)がまず先行しています。そして、相手の内面から、“わきまえる”力、分別を引き出し、育てるということが、教えることに従属してしまう傾向があります。ここがまさに問題なのであって、「教」と「育」とを逆転させるような発想に立ちかえることが必要であると思います。
のちにあらためてふれるつもりですが、人間は自ら創り出した文化の中でしか生きることができない以上、文化に学ぶ、文化を教わることではじめて人になることができるのです。したがって教える、学ぶということは、ヒトが人になるために欠くことのできないいとなみであることは重々みとめなくてはなりませ。しかし教えること自体が目的になると、それは一方的に教えるものに対して同化を求めるだけにおわりがちです。そうではなくて、教えることはたしかに大切ですが、人間性の本質である“わきまえる”力、分別を深め育てるためにこそ教えるのだという関係で教育を理解することが必要だと考えます。

・・・は中略、※傍線赤字は筆者原野

少し長くなりましたが、私なりに要約すると、次のようになると考えます。

説得とは、力関係を背景にして、相手を教化し、相手に同化同調を求め、或いは強制する傾向が強いものである。

納得とは、人間性の本質である“わきまえる”力、分別を深める力を育てるために教えるのだという理解して行うこと。

ところで、太田先生が述べておられる中で、私が最も注目した箇所は赤字傍線部分です。

このことは、私が以前から再三再四引用させていただいた南博氏の「日本的自我」にある日本人の国民性にも通ずることでもあります。

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