戦後の代表的歌人で前衛短歌運動を主導し、また紫綬褒章ほか数々の受賞をし、後に近畿大学文学部教授を務めた塚本邦雄さんが6月9日亡くなった。
それに関して6月10日付、毎日新聞の「余禄」が目にとまった。その記事を掻い摘んでご紹介したい。
俳句は菊作りのようなもので芸術ではない―戦後間もなくこう断じた仏文学者の桑原武夫の「俳句=第二芸術」論に対し、俳人の高浜虚子は「何番目かと思ったら、俳句もやっと第二芸術になりましたか」と動じなかったといわれる。―中略―塚本邦雄さんも第二芸術論に対し真っ向から打ち返した―中略―現実の写生を重んじる短歌に対し、幻想や虚構を歌って心に響く真実を求めてきた塚本さんは自分の仕事をこうも評する。「同じ100でも10の10倍ではなく、マイナス10とマイナス10をかけてできた100。こちらの方が意味がある」以下略
<このマイナスかけるマイナスの発想が面白い。不屈の前衛文学者らしい言葉だ。>
ところで、仏文学者、桑原武夫の俳句第二文学論は私が高校生のときに国語教科書で習ったと記憶している。それ以来、私は俳句に興味を持たなくなった。今にしてみれば大変残念なことをした。今は俳句や短歌の芸術価値を否定する桑原武夫のことを「ただ単なるフランス語かぶれの外国かぶれ」のつまらん学者だ、と思うようになった。
私の友人に故、磯崎弘三(弘象)君がいた。彼とは銀行が同期入行で、定年間際に同じ職場になった。そして通勤帰路が途中まで同じ方向だったのでよく話しをする機会があった。彼は頭脳明晰、感性豊かで鋭い風刺力をもち、ユーモアを心得た文学好きのナイスガイだった。
特に彼は俳句と川柳に卓越した才能をもっていて、たびたび日刊紙やその他に特選や入選していた。また句会でもその評価は高かったようだ。
彼は還暦を待たずしてガンでなくなったが、遺言によって遺稿集ができた。
私はそれを大切にしている。
彼の作品にはいつも感動させられていたが、私が忘れられない一句がある。
亡き父の 夏帽なりし かむりみる 磯崎弘象
この句は大阪地下鉄の車内広告のスポンサーである公益社が四季毎に募集している俳句で、特選になった作品である。
この句について、私はこんな想像をした。― 久しぶりに生家に帰郷した。ふと見ると今は亡き父の帽子が何気なく置かれていた。かつて、その帽子を被っていた父の顔・姿を思い出した。おやじは畑仕事に行くときに、いつもこの帽子を被っていたなあ・・。懐かしさから、ついその帽子を手に取ってみた。そして被った。鏡の前に立ってみた。その自分の顔・姿をみて思った。「ああ・・俺もあのおやじに似てきたなあ・・俺もおやじの年になったのか・・」 ―
これは私の読後感で、彼はどんな心境を句にしたかは知らない。またこの句を詠んだ人はどんな想像や感想をもつかは、その人によってさまざまだろう。
たった十七文字が、人の心に深く沁みこみ、その人、その人の過ぎ去った人生や今の心に響き、その人の情感をよぶ。
何十万語の長編小説も人に感動を与えてくれる。しかし、俳句はたった十七文字だが、それに匹敵する、と私は思う。(ただし、日本人にだけしか理解できないが)
元東京大学総長の南原繁氏(法学者)は、アララギ派の詩人としても有名であったが、自分の歌集「形相」の中で次のように書いている。
優れた歌人の歌一首がよく一巻の哲学書や一編の小説にも勝る深い感動を以て人に迫ることあるは、私の屡々経験したところである。
俳句は小説それ以上ではなかろうか。読んだ人に響く心情の多様性という点では俳句のほうが優っているのではないか。(乱暴だがデジタルとアナログの違いとでも言っておこう)
なぜなら俳句の一語一語に凝縮された語感は、人の数だけ感情や感性が広がり、より深く、人の心に沁みこんでくる。また四季折々の季語は「説明をせずとも」日本人ならではの情緒を物語ってくれるからであろう。
だから俳句は素晴らしい。俳句にふれてみて、改めて日本語の素晴らしさ、日本文化の高さ、日本人の高い精神性を再発見させてくれる。
また日本の高い精神文化を育んだ日本の四季・風土・自然に感謝の念さえおぼえる。
近頃、気候や食べ物に四季を感じることが少なくなったような気がする。その意味においても自然環境の大切さを痛感する。
結びにかえて、人口に膾炙されている有名な句を少しだけ書いた。日本の季節を味わっていただきたい。
万緑の中や吾子の歯生え初むる
中村草田男紫陽花に秋冷いたる信濃かな
杉田久女梅干して人は日陰にかくれけり
中村汀女






