投稿者: 原野辰三 投稿日時: 2005年10月31日(月曜日) 07時50分31秒
最近にわかに、「愛国心」が永田町やらマスコミでにぎやかになってきた。
愛国心は国民なら誰でもが自然にもっている心である。
「愛国心とは何ぞや」ということについてわざわざ議題にする事自体が「何やら怪しい」。
「愛国心」は心、「心」は内面、すなわち「内心」である。
自民党は、国民一人一人の「心」を,国家権力でもって「法律で愛国心を強要」し、「学校で愛国心を評価」しようと画策している。そして教育基本法・憲法をいじくりまわしている。
これほど馬鹿げたことはない。
自民党はこんな馬鹿げたことを“再び”持ち出しているのである。
「再び」戦前の軍国主義国家に戻そうとしているのであろう。
あの忌まわしい軍国時代、政府は子供から大人まで徹底的に愛国教育をした。日本国中が「愛国の標語」、「愛国の歌」など、見るもの聞くものが「愛国」一色だった。
私は今68歳。いまでも「愛国行進曲」を歌うことができる。終戦を迎えたのが小学校2年生だから、聞き覚えたのは幼稚園から小学校1年生時代。ラジオではいつも軍艦マーチと愛国行進曲が流れていた。
その当時の生活を詳しく紹介している頁がある。ご紹介しておきます。
(是非ご覧ください、ここをクリック)
ここで「愛国」に関すする名文・名言を下記しておきたい。
立派な愛国者であるとは、自国が商業によって繁栄し武力によって強大に願うことである。明らかに、一国は他国の滅亡なしには勝ち得ないし、不幸な人々を生ぜしめないでは征服しえない。それゆえ自国の強大を願うことは、隣国の不幸を願うことである。・・・自国が決していっそう強大にも弱小にも、富裕にも貧乏にもならないことを欲する人こそ、世界の市民であると言えよう』
(ヴォルテール「哲学辞典」より)
国民の愛国心は、一旦その好むところさからうや、人の口をかんするなり、人の時をせいするなり、人の思想すらも束縛するなり、人の信仰にすらも干渉するなり、歴史の論評を禁じ得るなり、聖書の講究をも妨げうるなり、総ての科学をも砕破することを得るなり。文明の道義はこれを恥辱とす。しかも愛国心はこれをもって栄誉とし功名とするなり・・。』
(幸徳秋水「帝国主義」より)
『愛国主義という卵から戦争が孵化する』
(モーパッサン 仏 小説家)
『愛国者ー政治家に手もなくだまされるお人好し。征服者のお先棒をかつぐ人間』
(ビアス 米 ジャーナリスト)
『愛国主義は無頼漢の避難所である』
(ジョンソン 英 文学者)
『日本国の犯した間違いをひたすら覆い隠そうとする日本人は、一見、愛国者にみえて、じつは国民の質を貶め、この国の市民を地球社会から永遠に隔離しようとする売国奴であり、日本国の過ちを鋭く指摘する日本人こそ、一見、売国奴に見えて、そのじつは比類なき愛国者なのだ。井上ひさし 作家)
世間では「愛国心を云々して何が悪い」という。巷の話ではいいだろう。しかし国家が国民に向かって「それを言い出す」事と時が恐ろしいのだ。
「愛国心をもて!」と言うのであれば、国民が政治家に向かって言うことである。
また、憲法は国家権力が守るべき国の最高法規である。自民党やら分けの分からん頭の悪い悪徳政治家どもは、憲法は国民を管理するために作るものだと思っている。憲法はお前たちのような悪ガキを管理監督するためにあるのだ。
ましてや、お前たちに「愛国心」など強要される筋合いはない。
いずれにして、小泉首相になってから、靖国参拝、愛国心、教科書問題、教育基本法改定、憲法改定と次から次と胡散臭く、きな臭い。
「この道はいつか来た道?」
「ああ、そうだよ」小泉
投稿者: 原野辰三 投稿日時: 2005年10月29日(土曜日) 09時13分24秒
政冷経熱は日中関係の実情を言い表したマスコミの言葉である。
政治(外交)関係が冷え切って経済関係は熱が入っている。
よく考えてみると、日本に“外交”らしい外交があるのだろうか。外交不在が日本の実態ではないのか。
また、日本に“政治”らしき政治があるのだろうか。政治不在ではないだろうか。
以前から、日本は経済は一流、政治は三流と言われてきた。
政治が三流というのは、政治はあるけれども三流という意味だ。しかし本当は政治不在ではないのか。
政治の形はある。形はあるが、それを政治といえるしろものではない。
つまり、日本政治の実体は国民の利益、国家の利益を実現するという目的が抜け落ちているのだ。
では、日本の政治実体はどうなっているのか。
結論を言っておこう。
日本の政治、すなわち自民党政治の実体は次のとおり。
まず、自民党は日経連の政治部であり、自民党総裁(小泉)は日経連の政治部部長である。
もっと重大な問題が我が国にはある。それは、日本とい国の形は独立しているが実体は独立していないことだ。
すなわち、日本の自民党政治は米国の駐在員事務所ないし出張所になっていることだ。
具体的に言うと、米国の世界軍事戦略網の一翼に日本が位置づけられ、そのために日本に米軍の軍事基地が多く置かれている。
断じて日本を守るために米軍が駐留しているのではないのだ。
世界地図をみれば分かるように、米国は朝鮮半島から西へ中国・インド・中東にひろがる「不安定の弧」に対して軍事行動を起こす発信基地に位置づけているのだ。
軍事基地があることが日本の安全になるのか。逆に危険なのか。ない方が安全だ。
日本人は長年に亘って“日米安保”は日本を守ってくれる条約だという誤魔化しを信じてきたのだ。
いずれにしても、戦後一貫して日本は米国の従属国のままで、日本の独立性、主体性など全くないのである。
なんでもかんでも、米国の要請要望を鵜呑みにしてきたのだ。
いま、日本は最後の砦まで米国に明け渡そうとしている。
日本が世界に不戦の誓いをした日本憲法を米国の強い要求で変えようとしているのである。そして何よりも日本の自衛軍は米軍の下請けになるのだ。
こんな国になっている原因は日本に国民がいないからだ。すなわち日本の国民は主体性がない。主体性がないから政治や社会に無関心である。無関心ということは“人任せ”だということだ。
こういうと、そうではないと反論もあるだろう。すなわち民主主義ルールに従って選挙で政権を選んでいる。だから国民不在ではない。
確かにそうだ。しかしよくよく考えてみると、有権者が本当によく考えて、善悪・正否を判断しているのだろうか。
もし、そうであるならば何故こんな国になっているのだろう。
それは日本人の意識構造からこうなった。「長いものにはまかれ、みんなでわたればこわくない、そのときのムードに流され、なんとなく人についていっておれば無難だ」と思っている国民が圧倒的に多い。そこには主体性などみじんもない。これを心理学では“同調行動”というそうだ。
郵政民営化はその最たるものだった。小選挙区制で圧倒的多数を占めた小泉自民党は大増税を次々とはじめる。
サラリーマン増税はやらない、と言ったのにやる。(定率減税の廃止、各種控除の廃止)消費税のアップ、ビール・酒・たばこ税のアップ。
環境税を新設してガソリン、ガス、灯油の増税などなど。
究極は米国の軍事下請け(只で)のために憲法も変える。米国は自分の国のように軍事基地を好き勝手にする。
どうしようもない国になってしまった。国民は自分で自分の首を絞めている。
投稿者: 原野辰三 投稿日時: 2005年10月28日(金曜日) 09時46分55秒
「いいじゃないか、いいじゃないか、よいよいよいよい」−「えらやっちゃ、えらやっちゃ」から転じたと言う説がある。この際どうでもよいことだが−
これは、よく耳にする、陽気でなかなか調子のよいお囃子である。
陽気に調子よく掛け声をだしているお祭りならば、平和でいうことはない。
しかし、実は「いいじゃないか、いいじゃないか」と賛成しているうちに、「えらいこと」になりそうである。
「えらいこっちゃ、えらいこっちゃ」となっては、後の祭りで済まされない。
例えばバブル時代がそうであった。企業からサラリーマンに至るまで、こんな調子で株を買い、土地を買いあさった。−私は投機のような株や土地が大嫌いであったのでやらなかったが−銀行は金余りで貸しまくった。企業やサラリーマンは借りまくった。株も土地も値上がりを続けた。やがて天井に突き当たり、暴落。
「天井知らず」などあるはずがない。馬鹿馬鹿しいとはこのことだ。
ねずみ講式のマルチ商法だって数学的に行き詰り、計算は成り立たないことは明白であるのに、欲ぼけて“ひっかかる”のだ。
「人間の欲」ほど愚かなものはない。
丁度、光と影の関係である。陽の当たる表があれば、その裏に必ず影がある。
その影に悪魔が潜んで、影から表を操っているのだ。
人間が悪魔に操られる「愚かさ」は“欲”だけではない。もう一つある。
それは“無知”という愚かさである。
「知らぬが佛」という諺のとおりだ。
意味は
『知れば腹も立ち、苦悩や面倒も起こるが、知らないから腹も立たず、仏のように済ました顔でいられる。転じて、当人だけが知らないで平気でいることを嘲(あざけ)っていう。』
(引用文)
ところで、われわれ国民が知らないうちに「大変な事」になりそうなのだ。
知らぬ間に、大変な事になる“一連の動き”(法案が可決成立してしまっている)があった。
有事法、盗聴法、住基ネット、個人情報保護法、イラク特措法等々だ。
それに加えて次に登場してきたのが、共謀罪法制定、教育基本法の改定、愛国心教育、憲法改定。
まさに、あの悲惨な大東亜戦争前夜を彷彿とさせる。
あの時、治安維持法など一連の法律を矢継ぎ早に制定して国民を戦争に協力させ、反対した者を弾圧投獄したのだ。(横浜事件の例)
法案は中身が大事であることは、口を酸っぱくして繰り返してきた(郵政民営化法案)。
法案の名称だけで善し悪しを判断して、中身を知らずに、判断していると、えらいことになる。
法案の名前は商品名と同じで優美だ。
例えば、個人情報保護法である。
中身は個人情報を保護という名とは裏腹で、実は政府や官僚が報道情報をコントロールすることが目的になっているのである。
「個人情報の保護」という本来の目的に反し、むしろ政治家や官僚などがジャーナリズムや表現活動に新たな制約を加えるための法的武器'>http://www.bungeika.or.jp/text/statements/20010421.htm"target="blank">(日本ペンクラブ)
国民大衆は「個人の情報を保護してくれる」としか思っていないのである。
このようにして、国家というものは、国民を欺き、国民を自在に管理し、そのうえで為政者の思うように運営し、軍国主義国家へと導いてしまうのである。
世界から非難を受けている靖国参拝強行といい、入れ墨右翼の祖父をもつ右翼の小泉は無知な国民の支持率をよいことに調子に乗り、やりたい放題をしている。
無知で「いいじゃないか、いいじゃないか」では済まされない。
「知らぬが仏」では仏様に申し訳ない。仏様は嘘か真かを見分ける照魔鏡をお持ちなのです。
多分、小泉ほか多くの悪徳議員どもは国民を騙した罪で地獄に行くことになるでしよう。
しかし、国民は現世で悲惨な目にあうのだ。
投稿者: 原野辰三 投稿日時: 2005年10月27日(木曜日) 02時57分00秒
光触媒で水を水素と酸素に分解することに成功した、というニュースがあった。
青色発光ダイオードに使われている、窒化ガリウムを使うらしい。これだと従来の水素発生装置の5倍の発生能力があるという。
続きを読む
投稿者: 原野辰三 投稿日時: 2005年10月25日(火曜日) 14時10分00秒
表題の
そんかとくか 人間のものさし うそかまことか 佛さまのものさし
は故相田みつを氏の言葉である。
続きを読む
投稿者: 原野辰三 投稿日時: 2005年10月24日(月曜日) 00時13分38秒
少子化が社会問題になっている。
なぜ子供が少なくなったのか。ものには原因と結果がある。最大の原因は子育てに十分な生活の経済的な基盤がなく、また教育環境に対する不安だ。子供を産み育てる社会環境にないからである。
その傾向はますます強くなっている。とくに小泉内閣になってから顕著だ。
続きを読む
投稿者: 原野辰三 投稿日時: 2005年10月23日(日曜日) 14時22分50秒
片山さつき議員は、党首討論における民主党代表前原誠司議員のことを「コイツ」呼ばわりした。
「コイツ」は非礼な言葉である。
ましてや公党の代表者の国会議員が国会での討論会で発言した者を「コイツ同じ事ばかり言いよる」とののしったのだ。
片山の人格・品性を疑わざるを得ない。
私は以降、片山さつきのことを「コイツ」ということにする。
その「コイツ」の品性は下劣だ。顔、しゃべり方など「コイツ」の動静すべてが卑しい。
また、「コイツ」は議員になった途端、選挙中の“にこやかな”な顔とは打って変わって、本性を現し、傲慢な官僚役人顔になった。
こんな「コイツ」を当選させ、城内実氏を落選させた有権者にもがっかりする。
城内氏は、野田聖子のように「利己主義的変質」をするような人間ではない。彼はきちっとした真っ直ぐな人間である。
郵政民営化反対投票(青票)に際して、彼は、まさにハムレットの心境であったろう。
「To be,or not to be」は人間が感極まった時、自問自答する、ある種の呻き声であろう。(ハムレットのせりふ“生きるべきか、それとも死ぬべきか” と訳している)
政治家として、もう一度「that is the question」の勇気ある答えをだして捲土重来を期してほしい。
ただし、自民党に綿々とする必要はないと思うのだが。
投稿者: 原野辰三 投稿日時: 2005年10月22日(土曜日) 23時26分44秒
先日、日銀の支店長会議があった。さくらレポート(地域経済報告)は日本の景気動向について、設備投資と消費は少し上向き、総じて景気回復の兆しが見えるという内容。
また内閣府(旧の経済企画庁)や一部のエコノミストは景気回復を強調している。
本当にそうなのか。確かに中国経済に支えられて企業の業績は好況だが、私の見解は違う。
本当の景気は国民の消費が上向いて、初めて景気回復といえる。しかし、国民の“ふところ”は誠にお寒い。
年金や健康保険料の値上げ、給付のカット、給料のカット、リストラ、減税の廃止等々国民の可処分所得は減る一方。
これでは消費が伸びるわけがない。本当の景気回復は国民所得が増え消費が増えることをいう。
日銀短観や政府統計は間違いとはいえないが、景気動向の数値は切り口をどこにもってくるか、すなわちデータの用い方によってちがう。
一番正直なのは国民の生活実態であり、生活実感である。
街に出ると、店舗の閉店があちこちで見られ、ビルの空き室が多い反面、パチンコ屋が満員盛況、サラ金屋の看板が花盛り。
一方、村上ファンドや楽天やライブドアが我が物顔で企業買収を派手にやっている。
楽天にしろ、ライブドアにしろ、IT産業と思いきや、楽天は三分の一を、ライブドアは二分の一を金融で儲けているのだ。
株だの金融だの通信だの、はたまたパチンコや競馬やと“虚業”が威張っている世の中になったものだ。
このような有様は、決して健全な社会ではない。
ところで、この度経団連会長にキャノンの御手洗氏が就任するらしい。
トヨタやキャノンは製造業である。日本は製造業を最も得意とし、また日本の製造業は世界で最も優秀な技術力をもっている。また、それを底から支えているのが日本の優秀な技能をもっている中小企業である。
御手洗氏はご自身の持論である終身雇用制を堅持している経営者であることに私は注目している。
10月6日の毎日新聞に下記の記事があった。
英エコノミスト:編集長が日本再評価「日はまた昇る」
「日はまた昇る」−−。英週刊誌「エコノミスト」の編集長で元東京支局長のビル・エモット氏が同誌8日号で日本特集をまとめたのを機に来日、会見し、今後15年の日本について、明るい展望を披露した。エモット氏は、日本経済がバブルの絶頂にあった89年、著書「日はまた沈む ジャパン・パワーの限界」を発表し、当時、一般的だった日本経済への手放しの評価に警鐘を鳴らしたが、今度は、小幅でも着実に改革を続けてきた日本を再評価、日本特集で楽観的な見通しを示している。
特集では、政治改革や株主重視の制度導入、不良債権処理など、これまで日本が取り組んできた改革を、「ステルス革命」と命名。劇的な改革でないため見えにくいものの、実際は少しずつ前進してきたと評価した。小泉純一郎首相の下で鮮明になった改革路線も、逆戻りすることはないと予測。さまざまな改革で、資本がより効率的に活用されるように変わってきた結果、今後15年は過去15年よりはるかによくなり、日本は再び成功の道をたどると結論づけた。
上記の記事の内容は気に食わない点が多いが、「日はまた昇る」点だけを期待する。
日本が「実業」特に「物づくり」によって「日はまた昇る」健全な時代がくることを願っている。
投稿者: 原野辰三 投稿日時: 2005年10月21日(金曜日) 13時41分31秒
表題はアメリカのフロリダを次々と襲うハリケーンの名前である。
フロリダ半島洋上に、またまた発生したハリケーン“ウィルマ”は観測史上最大ものだという。地球温暖化が原因であることは専門家の一致した意見である。
地球は知っている。京都議定書に同意せず、経済的利益を最優先させ、地球環境を破壊する資本主義の帝国アメリカに怒っているのだろう。
ブッシュはテロから国民を守ると息巻いている。
続きを読む
投稿者: 原野辰三 投稿日時: 2005年10月20日(木曜日) 12時30分52秒
小泉は靖国参拝について憲法の条文を上げて正当化した。
「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。」第19条を強調した。
では、下記の第20条に違反しないのか。
「第20条 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。3 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。」
すなわち、小泉は自分の都合の良い事だけをを摘み食いする。
そして都合が悪い場合は「総合的に適切に判断します。しました。」と言う。
最近、小泉は「政治家の資質は洞察力、本質を見抜く力である」と、一応もっともな事を言った。
いつもの事ながら、その「フレイズ」は御もっともである。
よくよく聞いていると、小泉の「政治家の資質」の話は権力争いの話だった。
「国家の将来、国民の幸福を担う」“政治家の資質”について語ったのであれば立派なのだが。次元が低すぎる。
小泉は「国家の将来、国民の幸福を担う政治家の資質」は皆無に等しい。権力争いはうまいが。最近戦国時代の武将の話をよくするのはその現れだろう。
小泉は詭弁だけで生きてきた人間で、小泉の本質は「自分だけが可愛い」のだ。
その詭弁の手法を映画に例えると、こうななる。
映画は約一時間30分程度だろう。ストーリーはそ、のフィルムは一こま一こまを高速回転させて動画になり物語になる。そのこま数は何千万もあるだろう。
小泉は自分の都合の良い、一こまだけを摘み出して、そのシーンをクローズアップする。そしてそのシーンを取り出して論陣をはる。
ストーリー全体を語れば自分が都合悪い。ストーリーは自分の意見とは違うので、自分の都合の良いシーンを摘出し、それをつなぎ合わせて自分なりのストーリーに書き換えてしまう。これが小泉流の詭弁であり、全体を知らない人にとっては尤もらしくなる。これは国民を愚弄し、国民に対する欺瞞であり、悪辣な政治手法である。
靖国参拝問題はまさにその典型だ。靖国問題は歴史的、すなわち時間の経過と流れの事実物語である。
全体を語らずして歴史を認識することはできない。
「個」は全体の関係の中に存在し、全体と無関係の「個」はあり得ない。
人を人間というのは、人と人との間にあるからで、人間は関係の中での個人なのだ。
先般、小泉は靖国参拝について「私の心の問題」を「他人がとやかく言う筋合いはない」と言った。
心の問題は心の中にあるものだ。だから他人が他人の心を見ることできない。
しかし、小泉の靖国参拝は国家を代表する行為だから、問題になったいるのである。
その人の行為はいろいろな人に影響を及ぼす。その行為に対して不快感や人の心を傷つけることもある。
自分も心があるように、人にも心がある。
法にふれなかったらどんな行為をしてもいいのだろうか。
いずれにして、小泉は嘘と誤魔化しを塗りたぐって生きている。その嘘と誤魔化しを見えないように「詭弁という衣」を纏っているのだ。
【詭弁】を「広辞苑」で見ると
道理にあわぬ弁論、理を非にいい曲げる弁論、こじつけの議論
相手をだますために行われる、外見上はもっともらしい虚偽の推論。と説明している。
国会で野党からイラク派兵問題で「非戦闘地域とは」の質問されたのに対して、小泉は「自衛隊がいるところ」と答えた。まさに詭弁だ。
こんな小泉を国民の60%が支持している。国民は詭弁と正論の区別さえできなのだろうか。
「言葉は本質を解明するためにある。しかし、本質を誤魔化すためにつかわれる」(井上ひさし)
小泉の言う本質は後段だろう。